変わっちまったぜ!

お題「#この1年の変化

 去年の末に転職をした。同じ業種の仕事で、やっていることも大きく変わりはしない。自分の雑感としては環境が変わった程度である。

 趣味の将棋も初段〜二段で右往左往している。目標は死ぬまでにアマチュアで四段になれればと思っていたが、夢のまた夢である。

 私が身を置く場所はどこも目まぐるしく変わり続けている場所で、こうも変わりがある日々が続くとおかしなもので自分の変化というものは老いる以外の変化が目につかない。社会人になってからというものの特に変化に鈍感になってしまっているように思う。

 IT系という変化ばかりしている業種の中にあるからなのか、序盤の少しであってもAIによって目まぐるしい変化をする将棋の世界の隅に居るからなのかはいざ知らず、変化とは常に起きるものだという感覚が身に付いてしまった。

 その結果として変化を変化と思わない癖がついてしまった。人類として恥ずべき悪癖である。変わっていることは多くあるはずなのである。

 ITで言えば学校で子供もプログラミングをやる時代がきたとか、将棋で言えば矢倉が戻ってきつつあるとか、変化は常に起き続けている。

 それなのに何処か対岸の火事である。向かい側で何か変わってら、俺には関係ないけどねといった調子で自分とはまるで関係ない世界にあるように感じている。本当は変化はもっと間近で起きていて、そこに適応できないと死んでいくのである。

 かつて角換わり腰掛け銀先後同型富岡流を知らない郷田先生が渡辺明先生に完敗し「定跡とは知らなかった」と口にした。目まぐるしい変化を遂げる中で、変化を知らない者は敗れ去ってしまう。

 IT業界で知識も無しに原始人ながらなんとかおまんまを食べている私も他人事ではない。やがて来たるITネイティブ。プログラミングが学校での必修科目となり、プログラミング言語自然言語さながらに話し、何事もなく天才的なソースコードを書き、ITとは一般常識の略称と語る恐ろしい存在が現れるのではないかと私は危惧している。そんなやつと仕事したくね〜というのが本音か。

 彼らの強襲に、川辺の魚が飛ぶ鳥を恐れる様子さながら怯えて過ごすしかないのであろうか。いや、できることなら「これ常識やで」とやんわり言える男になりたいものだ。

「常識とは知らなかった」とITネイティブにそう言わせるように、なれる気がまるでしない。今年こそは脱ITアウストラロピテクスを目標に掲げ、せめてITホモ・エレクトスになりたい。

 こんなことを言って、さして変わることはないだろうとも予想できる。私は自分の怠惰さには自信があった。

 ところで、そんなところで自信を持つやつはアウストラロピテクス未満なのではないだろうか?