俺が人生を狂わされた女の話

 毎年、暑くなってくると思い出す女が一人いる。俺が初めて彼女に会ったのは、うだるように暑い日だった。紺色の半袖のシャツは汗でところどころ色が変わって、ダラダラと腕から汗が滴り落ちていた。

 夏休みだというのに宿題をする気も起きず、暑さでぬるくなった川に足を浸して溶け出したアイスを食べていた。

 すると、ふと日差しが遮られて影が差してくる。何事かと顔を見上げた。

「いいですね、水浴び」

 いきなりのことだった。聞き慣れないイントネーションの喋りは、こことは違う場所から来た人なのだと確かに感じさせられた。

 この暑い時期に黒いシャツと黒いスラックス、挙句に和柄のパーカーを着てダラダラと汗を流す女が立っている。長い髪が風に舞うのも気にする様子はない。この暑い季節に、見ているだけで余計暑くなるような風貌だった。

 女はきょとんとする俺の横に膝を抱えるように座って川面を見つめて「この川は綺麗なんでしょうかね」とこちらを向いて笑う。やけに作ったようなぎこちない笑顔だった。

「さあ? どうなんでしょう」

 俺の返事も聞いているのかわからない様子で女はパーカーのポケットからタバコとライターを出して、火をつけた。

 ほうけたような表情で吐いた煙は、ほのかに甘いがそれ以上に煙たかった。煙たがるのが目に見えてわかったのか「すみません、煙たかったですか?」と顔を覗き込んでくる。俺はやけに照れ臭くなってそっぽを向いて「大丈夫です」と返した。

「ふふ、そうですか」と今度はさっきと打って変わって目を三日月のように細めてはにかんでみせる。

 胸がドクンと鳴るのをその時、確かに感じていた。

 踵を履き潰したスニーカーを脱いで足を捲り、川にそっと指先から沈めていくのを目を離せなくなるほどに、それは確かな高鳴りだった。

「ぬるま湯みたいですね」と言う響きに熱さでぼんやりとした頭で「夏なんです」と返す。

 8月2日の昼下がりのことだった。

 それからもうだうだとあって、私はその女を今でも好きでいる。彼女の言葉通りに仕事をして、彼女の願い通りに煙草を吸うような人生をしている。

『花に嵐の例えもあるが、さよならだけが人生だ』と誰かが言う。

 一期一会の一夏だったように思う。彼女は今、どこで、何をしているのやら。