戦型のサイクロン その1

私はオールラウンダーだ。得意戦法はまだない。

オールラウンダーというものがよくわからないが、気がつくとオールラウンダーになっていた。始まりは雁木と四間飛車だったはずだが気が付けば多くの戦法を指すようになってしまっている。

いったいいつからこうなってしなったのか? 責任者に問いただしたい。責任者は何処か?

 

そんな風に言っているものの、責任者というのは常々自分だ。私が始めたことなのだからその責任は私にあるのが道理だ。

私が将棋を指すまでを、振り返りながら何故こうなったのかを考えてみることとする。

私は自分というものがまるでよくわかっていない。これは将棋の話だけではない、全てにおいて自分のことを理解できている気がしていない。おおよそのところ自分について知っていることは2、3割程度ではないかとも感じるほどだ。

受け身な人は振り飛車党、攻めたい人は居飛車党。囲いが簡単ですぐ負けないから振り飛車に、攻め筋が多彩だから居飛車に。

将棋を始めたばかりの初心者に言われがちな言葉で、将棋を完全独学で始めた私は自分のことを受け身な人間と(いまでもそうだが)思っていたのでなるべくして振り飛車のオーソドックスな形である四間飛車を学んだ。

学んだと言うには語弊がある――真似したと言うのが正しい。

私は将棋ウォーズで四間飛車の勝った方の棋譜を一通り見て、どのようにしているかを見て、何の気無しに四間飛車を学んだつもりで真似て指していた。

さして負けなかったが、壁に当たる。

その壁は当時の私にとっては大きいものに感じた。今であれば些細なものだが、非常に大きく感じた。巨人にとってトラックが道端の石ころと変わらないように、今の私にとって過去のその壁はさして大きくは見えない。しかし、私はその壁を非常に大きく感じていたのだった。

振り飛車戦法というのは往々にして受け身な戦法だ。しかし時には相手の攻めを利用して――ボクサーが相手のパンチを見切ってカウンターを打つように、攻めなくてはならない。

居飛車側には対振り飛車の作戦に急戦型というものがあり、それをまるで受け切れなかった。完全に受け身で、攻めを受け切って負けてしまうのである。全てのパンチを受けるボクサーがいないように、全ての攻めを受ける棋士はいない。全ての攻めを受けた先にあるのはただ一つ、敗北だけだ。

さらに相手は居飛車だけではなかった。振り飛車にも敵はいた、相振り飛車のことである。相手も飛車を振るため、攻め合いになる。攻め方がいまいちわかっているようでわかっていない。勝負にならない。

私は四間飛車を指してスランプに陥った。

どうすればいいのやら。

将棋を指し始めそう考えるまで、おおよそ2日のことだった。

当時学生だった私はBOOKOFFに行き、立ち読みをすることに精を出す勤勉な学生だった。ありとあらゆる漫画本を読み、小説本を読みふける。この上ない娯楽の上に金銭の消費は一切ない完璧な趣味だったと自負している。

将棋を指し始めて、壁にぶち当たった時に私はBOOKOFFには将棋本があるのではないか?と考えた。思い立ったが吉日とばかりに向かうがあるのは詰将棋本のみ、なんたることか。

漫画本が1巻だけ出ていなかったりすることがある近場のBOOKOFFだったが、常々仏のような御心でそれを良しとしていた私だった。しかしばかりこの時は憤慨した。なんたる品揃えか。拳を握ったその姿は、あまりにも滑稽な逆ギレだった。

無いものは無い。仕方ないと思って私は漫画本のコーナーに行き、将棋漫画を探した。

そこで見つけた一冊が、私に新たなる戦型を見せた。

将棋を指す人であれば多くの人が知っているであろう、私にとってはバイブルとでも言うべき熱い真剣勝負が繰り広げられる一冊――ハチワンダイバーである。

ここで1人の老人が指した戦法と、その形を見て私に電流が走った。

その老人の名は二こ神、神野神太郎。得意戦法は雁木である。

雁木という戦法は今では角換わり拒否などで指される有力も有力、棋書も多く出たプロも指す戦型である。

しかし当時は違う。棋書はせいぜい『雁木戦法』と『雁木でガンガン』ぐらい、どちらも絶版である。その上、雁木は矢倉の出来の悪い兄貴とまで評されるような貧弱な戦型だった。何ぶん棒銀に弱い、右四間飛車に弱い、角交換をされても痛い。何をされても痛いだらけの作戦だ。アマチュアでも指す人は滅多に居ない。プロでは羽生先生が採用した一局があったと記憶しているが、それも対矢倉の5三銀急戦に対しての受けの手段として出たものだった。

雁木という戦法は当時はまるで指されない、日陰どころが暗黒のベールに包まれた貧弱極まりない戦型だった。

それを先述した二こ神という老人はカッコよく指す。鬼気迫る形相で、この戦法を指していた。

学生時代の私はそれに惹かれ、セリエAのスター選手に憧れるよりも……『二こ神流雁木』に憧れるようになったのだ。

何よりこの雁木は私が初めに覚えた戦法である四間飛車に近しいところがあった。それは銀の位置だ。

銀を4三にあがる形は雁木にも四間飛車にもなり得る。これならば四間飛車と雁木をスイッチヒッターが右と左を入れ替えて打つように、指すことができる。

そうして私は雁木を指すようになった。

雁木と四間飛車、2つの戦法を指すようになることがオールラウンダーと化す一因とはこの時の私はまだ知らない。